近代の今様(3)芥川龍之介の今様
幻の書『梁塵秘抄』の写本が見つかり世に知られたのは、明治44年のことです。 それ以前、詩や唱歌の世界に多く見られた七五調作品の数々は〈新体詩〉としてくくられ、〈今様〉とは認識されないようです。 が、『 […]
幻の書『梁塵秘抄』の写本が見つかり世に知られたのは、明治44年のことです。 それ以前、詩や唱歌の世界に多く見られた七五調作品の数々は〈新体詩〉としてくくられ、〈今様〉とは認識されないようです。 が、『 […]
西洋の調べに言葉をのせるとき、七五調が具合よさそうだという発見が音楽界にあったことを(1)で述べました。同じ発見が、翻訳の世界にもありました。明治初期、競って西洋へ留学した者たちが、向こうの文学を日本 […]
平安末期を最後に衰退したといわれる〈今様〉ですが、七五調(八六調)四句という形式についていえば、明治時代には多くの作例が見えます。 「蛍の光」 ほたるのひかり まどのゆき ふみよむつきひ かさねつつ […]
世の秩序が乱れ、都に戦乱も多かった平安時代後期、ひとびとはよほど現世を頼りなく思ったのでしょうか、死後の浄土に救いを求めるようになりました。浄土信仰の高まりとともに熊野詣が盛んになり、多くのひとが険 […]
日本の詩歌には、押韻の厳格な規則が見られません。〈韻〉があまり顧みられない場合には、往々にして〈律〉の拘束力が強くなる傾向があると九鬼周造は述べています(『日本詩の押韻』)。日本の詩に押韻があまり発 […]
今様は言うまでもなく歌謡ですが、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するくらいですから、今様にももちろん詩としての文芸的価値が認められます。 詩の形式は、韻律によって成り立っています。 〈韻 […]
大正時代に高谷宗範が十七もの茶室を含む屋敷を建てて以来、〈山荘流〉茶道伝道の地となった〈松殿山荘(しょうでんさんそう)〉は、さらに時代を遡ると、平安時代、今様や白拍子の芸能が流行していた頃には松殿基 […]
〈今様〉という言葉は、もともとは単に「今風の」という意味だったものが、次第にその一語で「今風の歌」「今様歌」を指し示すようになりました。「今様歌」がそれほどに流行したからでしょう。 〈今様歌〉という言 […]