今様と仏教Ⅱ 密教と今様

仏はつねにいませども  

現(うつつ)ならぬぞあはれなる

人の音せぬ暁に

ほのかに夢に見へたまふ

           (『梁塵秘抄』)

 

*仏様は常にいらっしゃいますけれども、実際にお目にかかることができないのがまた、しみじみと心を動かされます。人の気配のしない様な夜明け前に、ぼんやりと夢でお会いすることができます。

 梁塵秘抄の中で現存数が最も多いものが法文歌で220首を数える。法文歌とは、三宝、すなわち、仏法僧を詠みこんだものである。今様歌の中には、何故このように仏の教えを詠みこんだものが多いのだろうか。

 ところで、仏教の中でも密教と言われるものがある。密教が何であるのかについては、研究者によって意見が分かれるようである。しかしながら、ひろさちやはその著作の中で、空海は密教を「秘密仏教」として理解したとしている。すなわち、密教では、教えを説くのは大日如来であるが、宇宙仏(宇宙そのもの)である大日如来は人間の言語で説法できないと言う。そのため、違った形で説法をするとしている。

 「じつは、宇宙仏が使われる言語は、-宇宙言語ないし象徴言語-である。あるいは暗号といってもよい。風の音、波の音が大日如来の説法である。一輪の花が咲き、枯れていく。その変化のうちに宇宙仏の説法があるのだ。それが象徴言語であり、暗号である。」(ひろさちや,2016,p.66)

 春が来て、色づいた若葉や薫っていた花も夏が過ぎ、秋が来る頃には色を変えたり、枯れたりして、冬を迎える。常に盛りであるものなど存在しない。
 そもそも、四季がはっきりとした日本に暮らし、移り行く景色に心を配り、それを自らの心と重ねていた先人たちは、このような宇宙仏の言葉をはっきりと感じていたに違いない。

 特に、今様が隆盛していた平安後期は、世相も安定せず、諸行無常を感じやすい時代だったのかもしれない。それ故、庶民は仏教に助けを求め、分かりやすく仏教の思想を詠みこんだ今様が浸透していったのかもしれない。

白露 書

引用・参考文献
後白河法皇(編)(2011)『梁塵秘抄』光文社
ひろさちや (2016) 『日本仏教史』河出書房新社
松長有慶 (1991)『密教』岩波書店
長尾雅人 (1983)『維摩経』中央公論新社