近代文学における祇王祇女説話翻案の諸相① 島村抱月『平清盛』・武者小路実篤『清盛と仏御前』
はじめに 近代文学には『平家物語』祇王祇女の挿話を翻案した作品がいくつか存在する。今回はその内、管見に入った戯曲について紹介したい。個々の作品論というよりは、近代における白拍子表象の具体像を確認する […]
はじめに 近代文学には『平家物語』祇王祇女の挿話を翻案した作品がいくつか存在する。今回はその内、管見に入った戯曲について紹介したい。個々の作品論というよりは、近代における白拍子表象の具体像を確認する […]
世の秩序が乱れ、都に戦乱も多かった平安時代後期、ひとびとはよほど現世を頼りなく思ったのでしょうか、死後の浄土に救いを求めるようになりました。浄土信仰の高まりとともに熊野詣が盛んになり、多くのひとが険 […]
日本の詩歌には、押韻の厳格な規則が見られません。〈韻〉があまり顧みられない場合には、往々にして〈律〉の拘束力が強くなる傾向があると九鬼周造は述べています(『日本詩の押韻』)。日本の詩に押韻があまり発 […]
今様は言うまでもなく歌謡ですが、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するくらいですから、今様にももちろん詩としての文芸的価値が認められます。 詩の形式は、韻律によって成り立っています。 〈韻 […]
『和漢朗詠集』は藤原公任(966~1041)によって編纂された和歌と漢詩文の中から朗詠の形式に相応しいものを精選した詞華集である。編者の藤原公任は『大鏡』にある「三船の才」のエピソードで知られている。 […]
白拍子歌謡というものの文学史的位置づけを考えていく上で、同時代の他の歌謡との関係を考察することは必須の視座であろう。前回も取り上げた滝田英二「白拍子の新資料「今様之書」」(昭和四十一年十月『国語と国 […]
仏はつねにいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見へたまふ (『梁塵秘抄』) *仏様は常にいらっしゃいますけれども、実際にお目 […]
大正時代に高谷宗範が十七もの茶室を含む屋敷を建てて以来、〈山荘流〉茶道伝道の地となった〈松殿山荘(しょうでんさんそう)〉は、さらに時代を遡ると、平安時代、今様や白拍子の芸能が流行していた頃には松殿基 […]