近代文学における祇王祇女説話翻案の諸相② 山崎紫紅『祇王祇女』

 本稿は「近代文学における祇王祇女説話翻案の諸相①」の続きである。山崎紫紅『祇王祇女』について紹介したい。作者の山崎紫紅(明治8~昭和14)は劇作家として坪内逍遙の影響下に活動していたが、後には議員に転じた人である。

 本作は初出未詳。大正六年七月に平和出版社より「新脚本叢書」の第六篇として単行された。この本の口絵写真には登場人物を演じる女優俳優の顔写真が掲げられており、出版の前後にどこかで上演された可能性が高いが、未詳(出演者の経歴的に帝国劇場か?)。ちなみに口絵写真の配役は次の通り。 

祇王 初瀬浪子

祇女 東日出子

祇王の母 藤間房子

仏御前 河村菊江

清盛の手下の武士 沢村宗之助(初代) 

 本作の梗概は次の通りである。

場所「嵯峨の隠れ家」、時「治承の頃」、季節「初秋」

嵯峨の庵で出家した祇王祇女が暮らしている。出家したにもかかわらず、二人は仏御前を深く恨み、仏の人形を呪いながら暮らしていた。母の寝静まった夜中、煮えたぎった油の中に仏御前の人形を入れ、小刀で刺し貫くなどしていた。そこへ仏御前が祇王を訪ねてやってくる。仏御前は、祇王が遺した歌に感じ入り、世の無常さを悟って、来世の安寧を祈願しようと発心したという。祇王たちと一緒に極楽浄土へ行きたいという仏御前に、祇王は自らの行いを懺悔する。呪いに使った仏御前の人形を見せ、これからは善人になるという。そこへ清盛の手下がやってきて、仏御前を連れ戻してしまう。仏御前が連れ戻された後、祇王は仏御前は元々出家するつもりはなく、自分達の呪いを邪魔しに一芝居打ったのだと考え、もっと強い呪いをかけようとする。するとそこへ清盛の部下がやってきて、仏御前が戻る途中に髪を切ってしまったので、その髪を持ってきたという。祇王祇女、二人の母は仏御前の発心に感じ入り、合掌する。

 今回取り扱う三作の中で、最も脚色の程度が甚だしい。人物関係と舞台を『平家物語』に借りているだけで、祇王祇女の人物造型や会話などはかなりオリジナルなものになっている。祇王が仏御前を怨んでいるという設定自体は他でも見られたが、呪いの儀式を行う場面などは鬼気迫るものがある。祇王は祇女と一緒に、色々な虫などを混ぜた油を火にかけ、そこへ己の血を入れて、仏御前を模した人形を煮るという恨みっぷりである。

祇女。 油は。

祇王。 仏壇の下に。

祇女。 たゞの油でございますか、私の方にはずつといゝのがありまする。(縁の下より口の欠けたる油壺を出し)姉さま、御覧下さいませ、蟇(がま)だの、百足(むかで)だの、女郎蜘蛛、青とかげ、いろいろな蟲を封じこめたこの油、これをお遣いなさいませ。

祇王。 (凄き笑)ふ、ふ、そんな油で祈つたのかえ。

祇女。 あの虫を掴へるのは、そりや気味が悪うござりました。

祇王。 まあ、それをおつぎ。

祇女。 錫(すず)が赤くなつてゐまする。(と油を鍋へ注ぐ、油の煙立ちのぼる)

祇王。 (笥(くしげ)の中より小刀を出し)よう御覧ぜ、姉さまの油を(左の二の腕を突破り鮮血を鍋の中へ滴(た)らす)ありとあらゆる蟲けらの油よりもましである。 

 祇王が仏御前に取って代わられた理由について、器量の良し悪しではなく、年齢によるもの(つまり若いからこそ仏御前が選ばれた)だと祇王は語る。これは祇王と仏御前を、器量や芸に差があって選んだのではなく、同じスペックなのにただ若いだけで仏御前が選ばれたという祇王の認識を示しており、祇王のプライドの高さを読み取ることができる。

祇女。 あの美しい顔を、さうぢや、疵だらけにしてやるぞよ。 (と小刀にて〔筆者注:仏御前に見立てた人形を〕突く)

祇王。 顔なぞは!あの歳をふやしてやりたい、あの性悪〔筆者注:仏御前を指す〕と張合ふて、負けるのは年ばかり、新しいのと若いのとに、私は負けてしまつたのぢや。

 祇王が仏を怨むというのは他の作品でも共通してみられたが、この作品ではその恨みの度合いの深さや、祇王だけでなく祇女も一緒になって仏を呪うあたりは個性的で面白い。

 また結末も、仏御前が髪を切って出家する点では『平家物語』と同じだが、仏御前が髪を切るタイミングと、仏御前本人が清盛の所へ戻ってしまうことの二点で異なっており、やや独自の結末となっている。

おわりに

 以上、近代文学で描かれた祇王祇女仏御前を見てきた。総じて言えるのは、白拍子を扱いながらも、作者達が心を惹かれたのは寵愛をめぐる男女、あるいは女同士の人間関係であり、白拍子の芸能者としての側面はほとんど注目されていなかった。大正期には『梁塵秘抄』が再発見されて出版もされていたが、そうした今様との関連もあまり描かれてはいなかった。また、祇王は清盛の寵愛を奪われたことで仏御前を怨むという造型は共通しており、個人的に祇王は優しい女性のイメージだったのだが、男を取られて怨む女性のイメージが作者達の心を捉えたのかもしれない。

光らない源氏書