宴曲について②

 本稿は宴曲についての続稿である。
 宴曲の時代だが、宴曲の大成者と言われる明空が『宴曲集』その他の選集を編んだのが正安三年(1301)八月であるという。つまり鎌倉末期以降が宴曲の時代だということができる。宴曲と今様の関係を整理するとおおよそ次のような見取り図になろうか。

 

今様   ↘

      (水猿曲=水の白拍子)→ 宴曲 → 能楽

天台声明 ↗

 

 宴曲は今様など平安末期の雑芸(広義の今様)の流れを汲み、能楽につながっていく歌謡である。ここに天台声明が接続しているのは藤田徳太郎の説で、宴曲そのものにも今様系統のものと仏教色の濃いものが存在すると指摘する。ここでは「山」というタイトルの今様系統のものを紹介したい。 

五天竺国震旦国。浪をへだてゝ百万里。其地(そのち)は何処(いづく)も知らねども。伝て聞く山々は。鉄囲山須弥山。王舎城の耆闍崛山。この観世音の補陀落山。文殊のまします五台山。〔中略〕秦皇帝の宿りしは。泰山五株の松の陰。漢の武帝の上りしは。万歳呼(よばふ)崇高山。李将軍が隴山。〔中略〕我国秋津島には。東山山陰山陽道。国々の名山。山又山の青巌。天武天皇大友皇子を恐れて。芳野山に入給(いりたまふ)。

 かなり長いので適宜省略した。典拠のある山々を、七五調でひたすら列挙した形になっている。その配列の仕方は不規則ではなく、おおむね仏教関係→中国→日本という形で、また古いものから新しいものへと概ね配列されており、作者の構成意識を垣間見ることができる。
 ただし、こうした内容については、宴曲は典拠のあるものを連想的に羅列するばかりで、学識はあるが作者の詩的才能に欠けると指摘されている。これはつまり「表現に独創性がなくて、あまりに、典故引用の列挙に頼り過ぎてゐる」。この特徴は以前注釈をつけた『今様之書』所載の白拍子歌謡「祝」で感じたことと一致している。
 歌詞の面から見た今様との大きな差異は、その長さである。宴曲はいずれも長く、吾々が七五調四節と呼ぶような詩形をなしていない。また七五調を基調としているが、例外も多いし、長さも一定ではない。
 それぞれ今様と能楽という逆方向から見ると、宴曲は折衷的で過渡的な性格を有していると見なすことができる。

光らない源氏書

参考文献

『中世近世歌謡集』(日本古典文学大系 岩波書店)宴曲部分は新間進一校注解説

藤田徳太郎『古代歌謡の研究』(昭和9年 金星堂)