白居易と公任

『和漢朗詠集』は藤原公任(966~1041)によって編纂された和歌と漢詩文の中から朗詠の形式に相応しいものを精選した詞華集である。編者の藤原公任は『大鏡』にある「三船の才」のエピソードで知られている。

藤原道長が大井川で舟遊びをしているとき、漢文の才能がある人の乗る舟、管弦の才能がある人の乗る舟、和歌の才能がある人の乗る舟と分けた。その際、道長は公任に対し、どの舟に乗るか尋ねた。道長がこう尋ねたということは、どの舟に乗っても公任ならば一流の仕事をこなすと道長が思っていたということである。金(2003)は公任について「漢詩・和歌・管弦の才に秀で,『和漢朗詠集』により,平安時代の美意識の根底を定め,次の時代に大きな影響を与えた」と述べている。

 そんな公任が好んだ詩人が白居易である。『和漢朗詠集』では漢詩句588首

の内、唐人の詩文が234首選出されている。さらにその内、白居易は136首〈写本によっては135とも〉でトップである。唐人の内、二番目に選ばれた詩数の多い元稹が11首であり、日本人の中で選出された詩文が最も多い菅原文時が44首(川口,1982)であることを考えれば、どれだけ白居易の詩の選出が多いかわかる。

 このように公任が白居易の詩を好んだのは、公任の人生が白居易のそれと重なる部分があり、美意識も似ていたからだと黄(2003)は述べている。

「藤原公任は白居易の〈無常〉の詩を積極的に『和漢朗詠集』に選び取っている。その理由は, 彼の人生観が白居易の無常を扱った詩に共鳴していたからであると言えよう。しかしながら,藤原公任が白居易の政治・社会風刺に関する詩作を『和漢朗詠集』の取捨の枠外にした理由もまた, 彼の美意識の選択基準にあったと言えよう。当時の貴族たちは,花鳥風月」という自然の風物を詠じることを和歌と詩歌の題材とし,それが平安時代の潮流となっていた。白居易の政治批判や社会風刺などは当時の和歌の題材となっていなかったのである。」(黄,2003)

白居易は当時の政治を変えようと多くの詩作を行っている。しかしながら、個人的には、白居易の政治的な詩にはあまり感情が動かない。同じように、風刺をした山上憶良の様な切迫感と悲哀がなく、大変客観的だとすら感じる。もちろん、これは、天子にこんなことがあるのですよという現状を報告する意図があったからかもしれない。また、私に漢詩からそのような情を読み取る能力がないからかもしれない。しかし、そんな一方で、白居易が自らの左遷後、貧乏を笑い飛ばしちゃおうと詠う詩に共感し、彼らしさを感じることもある。

 ともかくも、白居易が日本の美意識に大きな影響を与えたことは否定できない。白居易によってどのような美意識が日本の文化に浸透したかについてこれから考えていこうと思う。

白露 書

引用・参考文献

花房英樹 (1974)『白氏文集の批判的研究』朋友書店

川口久雄 (1982) 『和漢朗詠集』 講談社.

川合康三 (2011) 『白楽天詩選 (上)』 岩波文庫

黄金堂 (2003) 藤原公任と臼居易一『和漢朗詠集』における白居易の詩をめぐって一広島大学大学院教育学研究科紀要, 52, 229− 236.

下定雅弘 (2010) 『白楽天』角川ソフィア文庫