尊経閣文庫蔵『今様の濫觴(らんしよう)』本文編 ——星も歌う

 加賀前田藩伝来の文化財からなる尊経閣文庫に、『今様の濫觴』と呼び習わされている巻物が保管されています。
 内容は、今様の起源を綴る〈本文〉と今様の伝承を示す〈系図〉で、包み紙には本文の書き出し部分が記され、「高麗曲」と書かれた押紙が貼られています。
*「高麗曲」押紙の意味については未詳。

 元禄十二年(1699)に前田家の書物役山本小兵衛によって原本から書き写されたものですが、原本のルーツはどこまで遡れるのかわかりません。

 本文の内容はざっと以下の通り。 *()は筆者

 今様は、敏達天皇の時代(572-585)、歌の名手であった土師連八嶋(はじのむらじやしま)が歌い始めたのが興り。
 夜に彼が歌っていると、しばしば誰かが声を合わせて競うように歌い、その声がこの世のものとも思えなかった。ある夜、八嶋が声の主の正体を知ろうと後を追っていったところ、その者は赤い衣を着ていたが、住吉の浜に至り、夜明頃、海に入って消えた。
 聖徳太子が奏上することには、声の主は〈熒惑星(けいこくせい)〉つまり火星である。天には五方を司る五星があり、火星は南を司って赤い。この星はよく人に化けて、歌を歌ったり子供に交じって遊んだり未来を予言したりするとのことであった。
 その後今様は絶えていたが、寛平(かんぴよう)八年(896)に山蔭中納言が再び歌い始め都に広めた。〈今様〉と呼ばれるようになったのはこのときからで、本来は〈謡歌(わざうた)〉というものである。このことの詳細は『管弦目録』(?)に記されている。

 熒惑星のくだりは聖徳太子の伝説として他書にもあることですが、それが〈今様〉にかかわってくるとは驚きです。というより、煙に巻かれた気分です(笑)。〈謡歌〉とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

 本文は、まだ続きます。

この宿(青墓か)に始まった今様は、相模の国こいその翁の流れであり秘事であった。

そして、

万寿三年(1026)、足柄十首を宮姫(みやき)が小三(こさん)に伝える。

とあって、宮姫以下の系図が続きます。

〈足柄〉とは、今様の大曲であり、これが正しく歌えるかどうかが正統の証ともなるような秘曲だったようです。

 本書は後白河院の編纂になる『梁塵秘抄口伝集』と内容的に符合しているものの、『口伝集』にはない情報まで記されていることから、『口伝集』の引き写しではなく別系統の資料とみなされているようです。

 ということは、この書は、『口伝集』の読解に少なからず役立つということです。次項では、〈系図〉部分を参照して、『口伝集』を繙いてみたいと思います。

 

犬君 書