ひとことで〈今様〉と言っても、等し並みではなくさまざまな種類があったようです。中でも青墓の傀儡(くぐつ)たちが師から印可を得るごとく伝授された重要な曲が〈足柄〉です。十首あったとされ、中でも『恋せは』は代表的な曲でした。
歌詞は現存の『梁塵秘抄』には残っておりませんが、『平家物語』に「恋ひせは……」という一文があることから、しかもそれが足柄越え道行きの箇所に現れることから、これが詞章だと思われます。写本により若干異同があり、ここでは、覚一本、屋代本によります。
恋ひせは痩せぬべし 恋ひせずもありけり
(恋をすれば痩せるはず。痩せていないあなたは恋していなかったのだな)
ドキッとしますが、下地になっているのはこんな伝承です。
その昔、足柄明神は妻をおいて唐に赴いた。三年後に帰ってみると、妻は肥えてつやつやと美しく、明神はそれをいぶかしんだ。「わたしを慕っていたなら、三年もひとりでいては淋しくて痩せ細っているはずではないか。こんなにまるまると太ってるのは、わたしを想っていなかったにちがいない」。そして、この妻と別れた。
妻としては、三年ぶりに会う夫のためにこそ美しくありたかったのかもしれないのに皮肉なことです。いえ、ほんとうに「亭主、元気で留守がいい」という気分だったのかもしれませんが。
もし、明神の伝承にとらわれなければ、この歌詞は他の意味にもとることができます。たとえば、
(恋をすればつらい。恋などしないほうがよいだろう)
あるいは、
(恋をしたので痩せるのも道理だ。してみると、昔は恋をしたつもりでも今のように本当の恋ではなかったのだなぁ)
後者の場合は、敦忠の歌
逢ひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり
と通ずる心ともとれます。
いずれにしても、足柄明神は、男女の仲を司ってもいたようで、足柄峠を越えるあたりで、なぜか旅人はみな恋人のことを思い、口にしたようなのです。遠国へ赴く防人しかり(万葉集)、東征を終える倭建命もまたしかり(古事記)。
参考)馬場光子著『今様のこころとことば』三弥井書店(1987)
犬君 書